Tuesday, May 22, 2012

視覚の転換、神が作らなかった世界

砂糖を食べたら甘い味がする。当然だ。当然じゃないの? みんなそれについて何も変だと思わないし、何もすごいこともない。砂糖はあなたが生まれて最初に食べた時から甘かった。でも、当然なことは何故当然なのか。時々、私たちが当然だと思っていることについて、他の視覚で考えてみるのは面白い。

昨日の朝、会社に行く道の日差しは暖かった。ちょうどいいぐらい風もふいていて、ちょうどいい天気だった。日差しは私の目の中で光って、風は腕の肌に触った。ああ、もちろん他人のことは気にしなくて自分だけ気持ちよければいいと思っているとしか見えない、タバコを吸いながら歩いている奴もいた。そのタバコの臭いもふっと私の鼻に入ってきた。そして私は、私の体に入っているいろんな「センサー」に気がついた。

キリスト教によると、人間の全ては、「なんでも知っているし、なんでもできる神」が即時に創りだしたものだ。これについて、クリスチャンたちはとても偉大なることで、ありがたいことだと感動の涙を流している。でも、そうなのか? ふーん。世界一番お金持ちに子供が生まれた。その子供は何もしなかったが、親の無限に近い財産を手に入れた。それで、その子は自分の恋人に1億円の車を買ってあげた。その子は偉いことをしたのか? 全然。私は、もしその子が夏休みの間にずっとアルバイトをして、それで稼いだ金で材料を買って自分で作ったプレゼントのほうがもっと偉い事だと思う。思えばなんでも即刻できる存在が今の形のままの人間を作ったのが何故そんなに偉いことなのか。

もし、私や会社に行く道で会う白いチンド犬とかが神によって瞬間的に作れたものだとしたら、今より興味がないと思う。私にとっては、ただの分子の塊から40億年間の長い生存の闘争の結果で今の形まで進化してきた私や犬のほうがもっと偉くて、すごくて、切なくて、美しいと思う。そうだ。こんな微弱な私でも40億年間この地球の過酷な環境に立ち向かい、生き残ってきた生命体のリンクなのだ。私の視覚も、肌の痛覚も、鼻の嗅覚も、40億年の戦いの結果で、その白いチンド犬も私もくしゃみをするのはその犬と私の共通先祖がくしゃみを開発したからである。そのくしゃみを開発するまでどれまでの時間がかかったのか。

砂糖が甘いと感じられるのは、私達の先祖となる動物が砂糖成分についてそんな味を感じるように進化して来たからだ。砂糖自体は動物が現れる前からあったから、砂糖が私達のためにそんなあじを開発したのではない。人間が普通に感じる感覚は全部人間が開発したものである。物体自体が客観的にそんな性質を持っているわけではない。私に赤く見えるのは、外界のある生命体には青く見えるのも可能だ。もし砂糖を食べたら死ぬ生命体があったら、そんな生命体には砂糖は多分すごくまずいのに違いない。なぜならば、そんな生命体で砂糖が美味しく感じられる個体が混じっていたとしたら、多分砂糖を食べて死んでしまって子孫を残さないだろう。だから、結局その生命体の中には砂糖がまずいから砂糖を食べなかった個体の子孫しか残らないだろう。

自然の漢字の文字的な意味は「みずからそうである」だと思う。上の砂糖と生命体のことのように、そうなるしかないようになっている。神や魔法がなくても、そうなるしかない仕掛けになっている。人間に当然に見えることを他の視覚で見よう。

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